北区の帰宅部の意訳

映画の感想を書きます(希望)

『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』の感想


 アニメ『ドラえもん』が好きで毎週楽しみにしてるんですよ。特番とかで放送がないと「チクショードラえもんを返せ!!」とイライラしたりするレベル。
 なんだけど、映画館にはあまり足を運んでいませんでした。テレビでやったら観るけど、という程度。声優リニューアル後の『ドラえもん』、通称「わさドラ」の映画は結構当たり外れが大きい印象でね、ちょっと敬遠してました。それに『ドラえもん』って通常のテレビ放送の楽しさと劇場版の楽しさって結構違いますからね。なんだけど、今回の『新日本誕生』メッチャ評判いいじゃないですか。なので、わさドラ映画童貞を捨ててきました。結果、「めっちゃいい……(ウットリ)」というね。まぁ、こないだテレビでやってた『宇宙英雄記』はイマイチなんで来年以降どうするかはちょっと考えます。とりあえず今回の八鍬新之介が監督を担当する年はマストかな、とは思っています。

 わさドラの劇場版に関しては疎いんですが、勝手な印象としてはリメイク版は打率高いが、オリジナルになると説教臭さが目立って打率低い、という感じです。まぁ、『ひみつ道具博物館』なんかは傑作だと思うんですけど。
 監督に注目するならば『ひみつ道具博物館』の寺本幸代監督もフィルモグラフィー的に信頼できるのかもしれませんね。八鍬監督と寺本監督ね、覚えておきます。

  • あらすじ
    • のび太「家出したるで」
    • ククル「家と家族奪われてもうた」
    • ギガゾンビ「二度と家には帰らん」

 まず、原作から元々良い点なんですが、これは悪役ギガゾンビのキャラクターだと思います。ギガゾンビの名前を関したゲームも出ましたけど、歴代の映画の中でも印象的な悪役ですよね。多分人気投票したらトップいくんじゃないかしら。いかなくてもトップ3は堅いんじゃないでしょうか。
 そんなギガゾンビ。何が素晴らしいってその正体ですよ。精霊王ギガゾンビの正体は23世紀から来た未来人でしたー、という唐突なネタバレ。要するに科学技術で当時の人(クラヤミ族)を騙してたワケですよね。ギガゾンビに対抗するためにドラえもんが「ドラゾンビ」を名乗ったのとまったく同じ。要するにギガゾンビはドラえもんと合わせ鏡のような存在なのですね。
 さらに、ギガゾンビの悪人としての最終目的。基本的には原始人相手にいわゆる「俺TSUEEEEEE」を堪能したいだけなんですけど、最終的にはタイムホールの封鎖です。タイムパトロールに捕まらないように、ということですね。ここでドラえもん一行が「元の時代に帰れない」というサスペンスが発生します。家出なのに帰路を絶たれようとすると焦る、ってのは変な話ですねw ……なんてことを考えるとギガゾンビの目的が究極の家出だということに気づきます。ギガゾンビがやってること、やりたいことってのび太とまったく同じなのですよ。のび太と違って途中で家に帰りたくならないだけ。のび太ドラえもんの科学力を持ったのがギガゾンビということですね。まぁ、23世紀なのでドラえもん以上、というのが厄介なんですが。
 ギガゾンビの精神がのび太だとしたら、この2人の違いは何かというか、友達の有無ですね。ギガゾンビは単身過去に来てしまったのですよ。これが過ちの発端であり、敗因ですね。のび太は最終的にククルを助けるために動くけど、ギガゾンビはあくまでも自分のため。一応ギガゾンビはツチダマ軍団を指揮してますけど、あくまでも道具扱いですよね。失敗した即殺す、壊す。おそらくギガゾンビにおけるツチダマは、のび太におけるドラえもんのような存在なのでしょう。意志を持つ機械。
 劇中でのび太がガチで死にかけるシーンがあるんですけど、その時にのび太が立ち上がるのはククルのためなんですよね。この結論がギガゾンビとのび太の決定的な違いなのではないでしょうか。

 そんな臨死シーン。間違いなく本作のベストシーン。ワタシは旧作のことを半分くらい忘れた状態だったので結構新鮮な気持ちで観れたせいもあるのかもしれませんが、マジで度肝抜かれました。「のび太ガチで死ぬやん……」って。死への追い込みがヤバイんですよ。ちょっと意地悪に思えるレベル。幻覚で浅はかな考えで家出したことを徹底的に問いつめて……ってのもキツイですけど、そんなのまだ可愛いレベル。その後ですよ。ドラえもんが放った救助ボトルがカッコよく登場します。それはもう劇的に。んで、カッコよく登場したかと思ったら、即破壊されてしまうw 「ええぇぇぇぇぇっ!!!!!」ってなりましたよw 一度救いの手を見せて油断させてからの突き放し。ここの無慈悲さには震えましたね。
 冷静に考えてみると、ここで救助ボトルが破壊されたのは物語的に誠実なのですよ。のび太が見た幻覚というのは「独りでやっていくんだろ?」というのび太の過ちを指摘するものでした。そんな状況を救うのがドラえもんではダメなのです。甘やかされるだけではのび太は何も変わらない。この時にのび太を救った手段、というのが『新日本誕生』のオリジナルにして、ものすごーく納得度が高く、ものすごーーく優しいんですよ。
 のび太を救ったのはククルにもらった犬笛の音に導かれた3匹のペットでした。犬笛というのはククルとの友情の象徴ですね。友達に救われることで独りでは生きていけないことを改めて感じさせます。そして、ペットたち。このペットたちというのは、のび太が7万年前に来て初めて行った仕事なのですよ。ドラえもんの道具は使っているものの、ドラえもんの目の届かない場所で、ドラえもんの想像を超える仕事を成し遂げた結果なのです。のび太が自分のチカラで成し遂げたことがのび太の命を救う、という形になってるんですね。死からの生還というのは成長を描く時に使われますけど、このシーンはまさにのび太の成長を感じさせるシーンになってるんですね。もうね、泣きそうw

 そんな犬笛。おそらく次回の映画にも出てくると思います。わさドラの劇場版だと定番になってるんですが、過去の劇場版における冒険を示唆するアイテムがのび太の部屋に置いてあるんですよね。本作にあった小ネタだと、『宇宙英雄記』のポスターが飾ってありました。他にもドラえもんが読んでるゴロゴロコミックの裏表紙には『大魔境』のペコが描かれてました。ワタシが気づかなかっただけで他にもあったかもしれません。
 なので、次作では本作の冒険を示唆するアイテムが出てくると考えて間違いないんですが、どう考えても犬笛ですよね。ククルとの友情の証であり、ペットたちとの絆、そして成長の証である臨死体験を思わせるアイテム。ちょっと今から次作を想像するだけで感動してしまいますw
 ちなみに、本作におけるのび太の部屋。異常に狭く見えるように描かれてたと思います。特に家出する前のシーンでは。常に画面の両端に本棚などが見切れるようになってるんですよね。「ちょっと狭すぎだろw」とか思ってしまうレベル。まぁ、これはミスではなく、単純に「早くこんなトコから抜け出してぇぇ」と自然と思わせるための演出ですよね。のび太に居場所がない感。現代日本の狭さをのび太の部屋で感じさせてるワケです。


 ということで終わり。とにもかくにも超のつく傑作だったと思います。とにかく隙のないタイプの作品だったと思うんですよね。マイナスがなく、プラスがとにかく大きい。まぁ、難癖をつければ「機械を何でも壊すんだったらドラえもんのことを壊そうとするシーンが欲しかった」とか少し思いますけど、「そんなシーンあるワケないって分かるでしょ!」という気もしますw

Songs from the Martian

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アーロと少年 (ディズニーアニメ小説版)

アーロと少年 (ディズニーアニメ小説版)

 今年は『オデッセイ』『アーロと少年』、そして本作『新日本誕生』と、開拓映画がやたら多いんですよね。どれもドメジャー作品で、日本でも大ヒットしている。まぁ、偶然でしょうけど、ちょっと不思議な一致ですねぇ。

 わさドラ映画の定番として上映の最後に次作を連想させる映像が流れるんですが、今回は氷の城っぽいのがありましたね。リメイクの翌年なのでオリジナル作品になると思います。多分あの氷の城を見た多くの人が「あっ レリゴー……」って思ったんじゃないでしょうか。ワタクシも思いましたw 世界的にヒーロー映画が流行ってる時に『宇宙英雄記』を作るようなシリーズですから、あながち間違った連想でもないと思いますね。
 オリジナルなのでどこまで期待していいか悩むんですけど、『ひみつ道具博物館』みたいなこともありますからねぇ。