「フランシス フォード コッポラの娘」、って紹介はさすがに必要ないソフィア コッポラ監督の最新作『SOMEWHERE』。
ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞したそうです。
審査委員長はタランティーノですか、あぁ、そーゆーことですか。
あらすじ
国際的なスーパースターの主人公
行きずりの女を抱く日々
しかし、満たされない日々
ひょんなことから娘と生活することに
女は抱けないけど、満たされた日々を過ごす
ソフィア コッポラの作品だと『ロスト イン トランスレーション』しか観たことないんですが、アレはかなりおもしろかったです。
ソフィア コッポラの作品は、どれも監督自身が投影されてるらしいです。本作に限って言えば、スーパースターの娘、ってのが出てきてる辺りモロですね。否定しようがないです。
ということは、アレですね。
ソフィア コッポラがスカーレット ヨハンソンであり、エル ファニングであると・・・・・・・・・・・・・・・・・笑止。
キルスティン ダンストはどうでもいいんですけどね。
けど、次作でもキルスティン ダンストが主演だとか。よっぽど馬が合うんでしょう。
本作は、オープニングからして、印象深い。
なにもない広野を高級外車がぐるぐると回っている。同じ道をぐるぐると。
文字で書くと簡単だけど。1周や2周じゃきかないですからね。それを定点カメラで音楽もなしにひたすら。
あぁぁ〜〜っ、そーゆーノリの映画なんすか〜。なるほど〜。苦手だわぁ〜〜。
まぁ、車が走ってる映像だけで、映画全体の雰囲気を伝えているのだから、映画としてはスゴイことなんだけど。
けど、とにかく退屈。(このイントロはアウトロのシーンとの対になっていて、映画的にはとても意味深いシーン)
全体的にこんな感じなんですよね。間延びしたというか、各シーンが長ったるい。特に娘役のエル ファニングが出てくるまでの序盤はもの凄くたるい。
映画スターの主人公が、特殊メイクをするシーンがあるんだけど。顔の型を取るっていうんで、石膏かなんかで顔を塗りたくる。そして、鼻に空気穴を空けて、しばらくそのまま。
この「そのまま」のところを文字通り「そのまま」映し出す。「数分後・・・」ってやってくれればいいものを、そのまま画面に石膏まみれの顔が大写し。「フゥー・・・・・・フゥーー・・・・・・」という鼻息が劇場を包み込む。
・・・・・退屈!!!!
いやね、もちろん、映画としての意図はあるんですよ。金も名声も女も手に入れた主人公なんだけど、なぜか満たされない空虚さというのを描きたいんでしょう。
わかります。もの凄く伝わります。出来事としてはもの凄く楽しそうな生活ながら、まったく楽しそうじゃない。それをセリフで説明しないんだからいいんだけど・・・・・空虚さは痛いほどに伝わるんだけど・・・・
・・・・心が空虚になりすぎて眠くなりました。
映画芸人のコトブキツカサがツイッターで言ってたんですけど。
「映画「サムウェア」は情報過多な作品に対してのアンチテーゼかもしれませんね」
なるほど。よくわかる。『ソーシャル ネットワーク』なんかはやり過ぎなくらいの情報量でしたからね。こういう言い方をすると傑作な気がしてくる。
一方、雑誌TV Brosの映画コーナーにて、折田千鶴子。
「説明的でないのは歓迎だけど、「お分かりでしょ?」的な語り口が感じ悪ぅ〜。」
わかるわぁ〜〜。コレだね。禿同ってヤツです。ワタクシはこっち寄りです。
と、こんな書き方をすると、つまらなかったみたいだけど、そんなことはなくて。
なにがよかったって、そらもうエル ファニング一択。娘役のエル ファニング。この人に尽きる。
『アイアムサム』とか『宇宙戦争』、最近だと『トワイライト』シリーズや『ワンナウェイズ』でお馴染みのダコタ ファニングa.k.a.ダコたん。
そんなダコたんの妹なんですよね。エル ファニングは。
『ベンジャミン バトン』で幼少期(体はジジイ)のブラピとキスしそうになってた女の子がエル ファニングですね。あのシーンはよかったですね。キュンキュンしました。
今年は、『スーパーエイト』という超大作に出るらしいんで。とにかく楽しみです。
そんなエル ファニングがとにかく、とにかくかわいかった。かわいいんだけど、美しくもあり、というかそういうのを突き抜けて神々しさすら感じる。
変な意味じゃなくて天使みたいな存在感でした。彼女のおかげで主人公は一時的にとはいえ救われますし。
あの、子供っぽいんだけどどこか大人っぽくもある年齢不詳な感じもイイ。この世のものではない感じがするんですよね。もちろん、それまでの主人公のいる世界から考えるとあり得ないキャラクターなんですけど。
エル ファニングの話の直後でアレなんですけど。
本作には、たくさんのおっぱいが出てくるんですよ。タイムマシンがあったら中学時代の自分に教えてあげたいくらい。
というのも、スーパースターの主人公の周りには言い寄ってくる女がたくさん。その人たちが、主人公の顔を見ると、おっぱいをペローンと出して誘惑してくるんですね。そんで、それにいちいち応えて回る主人公。
おっぱいに囲まれた生活を送る主人公なんだけど、満たされない。それが、娘と出会うと充足感を覚える、というお話です。
劇中、娘とホテルの部屋に戻ると、ベッドに裸の女が「待ってたわよ」っている。主人公が「ちょっ・・・おま・・・・・」ってなるシーンで爆笑なんですけど。
直後に主人公は娘に「飯喰いに行くぞ」って言い、女を置き去りにする。「娘>おっぱい」が象徴的に描かれる名シーンです。
終盤になると、娘と別れ、主人公は再び満たされない日々に戻る。すると、またおっぱいを見かけるんですね。
そこで、主人公はおっぱいを無視。娘との生活によっておっぱいを克服したことがわかる名シーン。
そして、そんなおっぱいとの対比としてエル ファニングは描かれるんですね。
エル ファニングの初登場シーン。
序盤、満たされない生活を惰性で過ごす主人公がベッドで寝ていると、女が主人公の左手のギプスに落書きしている。
「またおっぱいかよ!」とワタクシが思っていると、主人公が起きる。寝ぼけていて、ぼやける視界。そこに映るのが、エル ファニング。
・・・・・・もうね、このシーンのエル ファニングの神々しさは異常です。後光を背負って初登場するエル ファニングに見つめられるだけで心が浄化されるようです。
「おっぱいを期待してごめんなさい!」っていうワタクシに罪悪感すら植え付けるエル ファニング。この心理は、自堕落な生活から救済される主人公のそれと似ている。
あと、本編と全然関係ないけど、本作にはバカなイタリア人というのが出てきて。笑えるシーンなんだけど。
仕事で行ったイタリアで主人公にインタビューしてくるキャスター。コイツがバカみたいなテンションでバカみたいな質問を繰り返すんですね。
この「バカな外国人で笑いを取る」というのは『ロストイントランスレーション』におけるマシュー南のシーンと同じですね。
バカにしたように描いてるけど、バカにされてる方からしたら、「バカにも見える振る舞い」ってのは百も承知なワケでそれを「ほぉ〜ら、バカな外国人ですよ〜」って単純に描くのは、ソフィア コッポラ(と観客)はそいつらをバカにしているようで実はバカにされてるような気もします。
マシュー南なんてのはまさにその通りで、演じてるだけだからね(クレジットにもマシュー南となってるのには感動したけど)。
決して大好きとは言えないものの、おもしかったです。ただ、序盤の空虚さが描かれるシーンの退屈さは異常。とはいえ、エル ファニングはサイコーです。
「今までかまってやれなくてごめんな」って父親が反省する映画は腐るほどあって飽き飽きですが、本作はそれと同じようで真逆のことをやっているあたりもおもしろかったです。
60点。
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