北区の帰宅部の意訳

映画の感想を書きます(希望)

『サイボーグ009 BGOOPARTS DELETE』35話の感想


 いよいよ最終回です。結局○○○○!!

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神話復活編㉟ <終章・003>

 ナレーションかと思われたものが003の語りだったと明らかになり、同じ見開きでサブタイ発表。「すべて003の物語だったのか……!」と思わされるような衝撃の開幕。前話のラストがリコのお姫様抱っこだったので、「結局ゲストヒロインにおいしいとこを持ってかれる003は不憫可愛い」とか舐めた印象も抱いてたんですが、岡崎先生の003愛が予想以上に深かったでござる。

追記(2022/09/20):リコじゃないよ!! ひどいミス。以後気をつけます……という言い訳が通用しない。申し訳ない。
ishimoripro.com
 このインタビューに、本連載は元々003のスピンオフにするはずだったものが変更された、という旨が書かれています。それを考えるとこの最終話には納得がいく。てか、初回にジャンが出てきたのも「マニア向けのファンサービス」程度のものだと思ってましたが、あくまでも003を中心とした設計になってることの現れでもあったんでしょうね。ジャンの再登場も嬉しかったぜ……。
 てか、003以外にも本作が完結した今、合点だらけのインタビューになってるので既読の方もマジオススメ。天使編の続き、元のアイディアは難しすぎる、ミュートス編は担当さんのアイディア……などなど。ミュートス好きのみんな(私含む)は担当さんに感謝だ。

 最終話ということで、ネタバラシ的な側面も大きい。今まで断片的に語られてきた、そもそも本作は(この009たちは)どのような立ち位置なのか。その説明がついになされる。小出しとはいえ、連載もそれなりに長いので何となくの全貌は見えた気になってたんですが、その詳細が語られると驚くものが多い。
 別世界とか最近ハリウッドで流行ってるマルチバースっぽい設定ではあるものの、本作の特徴、そして最大の魅力はその出発点が明確にあって、それが「神々との闘い編」。そして経由するのが「天使編」。そう来たか。蓋を開ければそう来るしかないというくらいの納得なんですが、やはり気持ちがぶち上がるものがある。
 ファンに「神々」だと明確に気づかせる印象的なコマの引用も良かったんですが、前話で登場したギルモアについての話が出て、しかも「ギルモア殺害」なのでビビる。たしかにこれは「神々」でしかあり得ない話だw
 カウントダウンを告げる敵役、というハッキリと具体的なキャラクターと登場するには「天使編」だった、ということで天使も登場。てか、あの断片的すぎる「神々」と、未完の「天使」という素材を余すとこなく使い切った上で、ここまで整った話になるとはね……。

 そもそも『サイボーグ009』という作品は今の感覚からすると連載形式が特殊なこともあり、どうしても矛盾が生じてしまうところはあるんですよね。なので、マルチバースで理屈を通すのは正攻法と言える。
 公式の完結編である『conclusion GOD'S WAR』は、それまで発表された『サイボーグ009』という作品群はすべて石ノ森章太郎(劇中の人物でもある)が未来の001からメッセージを受け取り描いたもの、という設定。つまり『conclusion GOD'S WAR』はそれまでの作品群の一つメタなところに位置する作品。そうでもしないと辻褄が合わない、ということなんだと思います。『サイボーグ009』を終わらせるには、完結編を描くにはそれくらいの大がかりな設定が必要ということですね。これは今回の岡崎版の設定にも通じる話だと思います。その発想の起点が「天使」「神々」というのがニクい。
 (『conclusion GOD'S WAR』の上記設定は石ノ森章太郎先生のアイディアがそのまま残ってるという認識の元、この文章を書いてます。完全な正解は知らないです)

 ということで、「ありがとう 全ての『サイボーグ009』」とも言えそうな岡崎版の設定。ファンとしては「アメコミ版も包括するつもりか?」とかしょうもない妄想をしてしまうんですが、本話における最大のファンサービスであり、003が009に特別な思いを抱くという物語的な、キャラクター的な核と言える部分が……来ました、「地下帝国ヨミ編」。
 石ノ森章太郎以外の手で作られた『サイボーグ009』はとても多いのですが、どの作家にもファン心理があるせいか、ほとんどの作品で「ヨミ編」を思わせる要素は出てきます。いろんな作品で通称「どこ落ち」の再現をしていて、私としては「またどこ落ちかよ」とニコニコしながらツッコんでしまうんですが、今回は正真正銘あのどこ落ちであり、あのどこ落ちのその後が描かれる。
 「どこ落ち」の難しいところって、どこ落ちを神格化すればするほど、あの時点で009は死んでないとおかしいんですよ。つまり新作は作れない。さっきも全ての理屈を通すためにはマルチバースかメタしかないと書きましたが、そことも関わってくる話。一度完璧な形で完結してしまってる、それなのに続いてるから困ったもんだ(嬉しいけど)、というのが『サイボーグ009』が抱える最大の矛盾。
 その矛盾を乗り越え、完全に「どこ落ち」と地続きな003の物語を描いてみせたのが今回の最終話。たしかに、どこ落ちの記憶を継続する話だったら、009よりも003の方が適切ですね。どこ落ちが描かれるのは最大のファンサービスなんだけど、物語的にもとても重要。そこが今回の設定の面白さだと思います。
 そして数多の「どこ落ち」オマージュ作品の「あるある」と言えそうなのが、意外と発言者である002の影が薄いw

 「天使」「神々」から始まった物語として本作を位置づけたのが素晴らしいんですが、それだけで終わらず、ちゃんと描かれてない「天使」「神々」における天使(神々)との決戦はまだ描かれない。「天使」「神々」から始まった物語なんだけど、最終的に行き着くところも「天使」「神々」。
 その間に「ミュートス」における圧倒的に楽しいバトル漫画としての側面が描かれる、というのが今思えば不思議なバランスの作品でしたね。そういう事情は先ほどのインタビューを読めば腑に落ちる。

 『サイボーグ009』カルトクイズとも言えそうな内容になりつつあるんですが、ちゃんと「神話復活編」としてのエピローグも語られる。その世界のその後を気にするのが007、というのも素晴らしかったですね。
 そして、「どこ落ち」の記憶を継承した003と、「神話復活編」の総まとめとして描かれるのが、まさかのキスシーン。そう来たか~!!(本日2回目)
 いじらしい003が可愛らしいというのもあるんですが、目を瞑れと言われた一同のリアクションも最高。急にこの場面だけ作品の温度が変わってると言わざるを得ないんですが、そのギャップに劇中の003以外のみんなが困惑する、というのが微笑ましい。個人的には最後まで目を瞑らなかった001が好きです。瞑るのではなく、手で目を覆うのが可愛すぎる!! ギルモアを殺したり、009を魔神像の中に特攻させた冷酷ベビーとは思えないキュートさだw
 003とヘレナのキスは真正面から描くのに、003と009のキスは引きで、背中から、という慎ましさも本作らしいバランスだったと思います。009にキスする意図がまったくない、というのがまたw 設定を真面目に読み取るなら、「神々」の記憶を継承したこの003にはあの記憶もあるはず……とセクハラまがいの感想も書きたくなってしまうのですが、自重!

 このキスシーンもそうですが、本作のエピローグとして描かれるのは、本来なら禁じられたはずの置き土産。それが旅の余韻として描かれるんですが、ヘレナと、もう1人本作のゲストヒロインであるリコの中に残された本人は自覚できないレベルの置き土産。
 正直003の圧倒的ヒロイン力に圧倒された回だったんですが、しっかりリコにも大事な場面が残されており、そこにジャンが絡んでくるのが良いよなぁ(結局003)。


 ということで終わり。チャンピオンREDもしばらくお休みかなぁ、と思ったら来月『8マンvs』が掲載されるので笑う。逃げられない……!
 ありがとう全ての『サイボーグ009』であり、作者、担当、関係者各位……という気持ちです。原作以外の『サイボーグ009』作品としてトップクラスでオススメしやすい作品だったと思いますが(『conclusion GOD'S WAR』は好き嫌いはさておき読んどけという作品なので別格)、それと同時に連載を追っかける形で読めて良かったなぁ、とも感じてます。1話ずつ驚かされる楽しみもあるし、3年という期間があるからこその愛着も作品を楽しむ大きなスパイスになったと思います。見事な原作の続きであり、見事な「どこ落ち」ごちそうさまでした。