北区の帰宅部の意訳

映画の感想を書きます(希望)

『サイボーグ009 BGOOPARTS DELETE』29話の感想

 2ヶ月ぶりですね。表紙と巻頭カラーと付録と新刊と……と要素が多い。

gohomeclub.hatenablog.com

神話復活編㉙

 ゼロゼロナンバーとミュートスの対決……かと思ったらゼウスの話。修復中で変身できないって都合は分かるんだけど、半分009の顔でものすごい悪いことを言うので「とりあえず顔戻して!」と思ってしまうw いや、絵的にそれがめちゃくちゃ面白くて、ある種のサービスになってるんですが。009が絶対にしない顔。

 ミュートスたちはまだ戦えない。ゼウスは完全に体(機械)の問題で戦えないんだけど、ミュートスたちは心(人間)の問題。サイボーグという題材を扱う上で不可避なテーマとも言えそうですね。ゼウスは人としての心を捨てて完全に機械(神)になりつつある、と見ることも可能かもしれない。
 そして、何より面白いのはそのミュートスたちの都合。ここでまさかのミュートスの出自の話が出てくるのでビックリ。ここは完全に岡崎版がゼロから生み出したオリジナル設定なんだけど、『サイボーグ009』という作品の基本設定的に時代は第二次世界大戦、国は当然ギリシャ……とアイディアを膨らましていくので、オリジナル設定なんだけど「まぁこうなるしかないよな」という説得力&納得度。岡崎版のオリジナル設定の中でも現実の史実が絡む、ある意味でセンシティブな話なんだけど、だからこそ『サイボーグ009』という作品との親和性は高い。何なら岡崎版のオリジナル設定の中でも屈指のネタと言える気もする。
 ゼロゼロナンバーたちとは違って自らサイボーグ化を望んだ、という話も良い。サイボーグ戦士としての動機が真逆であるが、悲劇という意味では何も変わらない、というバランスの着地。0010や0013、「ベトナム編」のサイボーグマンには人間だった頃の記憶が残り、人格が強く残ってたのに対し、原作におけるミュートスは完全に神になりきってて元の人格が感じられない……という原作の穴みたいなものをうまいこと埋める設定になってたと思います。

 んで、代わりに出てくるのが、ゼウスの隠し玉であるアテナとアレース。アルテミスやヘラクレスに続く岡崎版のオリジナルなんですが、オリンポス十二神のことを考えたらそれほど違和感もないと思います。共に戦の神なので、『サイボーグ009』の敵キャラの1人として出すにはテーマ的に重すぎるので原作に出なかったのも納得なんですが、岡崎版ではだからこそ最後(たぶん)の特別な存在として出てきた、とも考えられる。
 まだ劇中に物的証拠となるような描写はないと思うのですが、おそらくアレナもアレースもロボット。サイボーグではなく完全に機械。先ほどのゼウスとその他ミュートスの違いの話とも通じると思いますが、ロボットなので人型ではあるものの要するにただの兵器ってことですよね。神を模した巨大な存在がラスボス的に現れる、というのは「地下帝国ヨミ編」の魔神像っぽくもあるんですが、あれには人間の脳味噌があるので少しだけサイボーグ寄り。あとは『conclusion GOD'S WAR』も連想したんですが、まぁこれは賛否の分かれる作品なので置いておきましょ。
 とにかく、最後の最後にロボットが出てきて、それも2体。となると、これはミュートスとの共闘……なんてのも考えてしまうかな。まぁ、これはただの予想。

 ゼウスサイドの話が面白かったんですが、ヘレナの件にも続きがあって、こちらのハイライトは何と言ってもキスシーンでしょうね。ヘレナの言い分も分かるのですが、サービスショット的なものも少し感じる。
 てか、ヘレナの言い分を考えると、今後009と003のキスシーンが描かれる可能性も意識してしまうんですが、これはどうなんだろうなぁ。こっちはない気がするなぁ。ただ、ヘレナではなく003側の物語にもう一つ大きな山が用意されてるならひょっとしたら……みたいな。
 少し今更な本作全体の感想にもなるんですが、岡崎版、かなり女性キャラの比重が大きいですよね。003、リコ、ヘラ、そしてヘレナ。単なる009の相手役だけではない役割がそれぞれにあるのが面白いです。まぁ、今回の見せ場は009にまつわるヘレナの決意(抵抗?)ではあるんですが。


 終わり。いよいよ本作の完結が見えてきたというか、風呂敷を広げるフェイズは完全に終わり、あとは畳むだけ、になってきた気がします。終わってしまうのは寂しいですが、面白くなってきたのも事実ですね。
gohomeclub.hatenablog.com